【聖霊降臨節第13主日】
礼拝説教「よい言葉を宿す」
願念 望 牧師
<聖書>
ルカによる福音書11:14-28
<讃美歌>
(21)26,12,51,59,65-1,29
聖書の御言葉を聞くときに、前の箇所とのつながりが大切です。
御言葉をしっかりと聞き取るために、ルカが前の箇所でどのように主イエスの言葉を記しているか、思い起こす必要があります。
主イエスは「祈るときには、こう言いなさい。」(2)と主の祈りを与えてくださいました。
「父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。」
この祈りを私どもはどれほど真剣に祈っているでしょうか。礼拝で祈るときに、多くの方は暗記しておられますが、口では言葉を発していても、心が伴っていないこともあるのではないでしょうか。本来、深く心を込めて祈るべき祈りです。
ただ、よく考えてみますと私どもは、日頃の生活で、この祈りを必要としています。「父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。」気づかないでこの祈りに導かれていることもあるのです。どういうことでしょうか。
さまざまにニュースが飛び込んできます。どうしてこんなことがあっていいのか、こんなことがまかり通っていいのかと心が騒ぐことがあります。力で力を支配するような、国と国との駆け引きがあります。あるいはまた、ウクライナでの戦争もなかなか収まることができないで、平和を祈り続けています。東日本大震災から12年を過ぎても、なおおびただしい方々が困難の中にあります。原発事故の処理は少しずつなされていますが、思うようになかなか進まず途方もない年月をなお必要としています。厳しい現実の中で私どもは、主に祈るように導かれているのです。
「父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。」
御国は、神の国で主が恵みをもって支配されるところです。ですから、「御国が来ますように」と祈ることは、主の御心が地の上でも行われることを求めていく祈りでもあるのです。
主イエスは「父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。」という祈りに、この箇所で応えておられます。
主イエスは悪霊を追い出してくださったのです。
悪霊というのは、私どもにとって実感があるでしょうか。悪霊は、目には見えないけれども、私どもの時代に働く悪しき力、神の御心に反して働く悪しき霊ということです。
主イエスは救い主として悪しき力に勝利されました。「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と主イエスは弟子たち語りかけられました。私どもの年度主題聖句でもあります。この語りかけは、十字架を目前に控えた、最後の晩餐での説教の一部です。毎年イースターを祝いますが、週の初めの日は、主が復活されたことを祝ってこの日曜日に礼拝がささげられるようになりました。ですから、毎週主の復活を心におぼえて感謝し礼拝をささげているのです。復活された主イエスは今もなお生きて働き、戦い続けておられます。そしてその戦いに、私どもを用いてくださるのです。
主イエスはこう語られました。
「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」(28)
「神の言葉を聞き、それを守る」のは、簡単なことではないでしょう。しかし、志す必要があります。そのときに、すべて自分の力でするのではないことを心にとめる必要があります。むしろ神の恵みによって「神の言葉を聞き、それを守る」のです。守ることだけではなく、聞くことにおいても神の恵みの働きかけがどうしても必要で、それを祈り求めていくのです。「神の言葉を聞き、それを守る」ことは、主イエスの救いに生きていくことでもあります。主イエスの祈りを祈り、そのように生きることを祈り求めていくところに、神の言葉を聞いて守る人の幸いがあるのです。ですから、神の言葉を聞いて守ることは、主イエスの祈りを生きることとまったく一つのことです。
たとえば、「わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦します。」という祈りもそうです。この祈りを生きていくためには、神の働きなくしては到底できません。聖霊の助けを必要とするのです。ですから主イエスは聖霊を求めるように、神の助けを祈り求めて御言葉を生きるようにと招いてくださっているのです。
さらに主イエスは前の箇所でこう語りかけられました。
「必要なことはただ一つだけである。」(10:42)マリアが主の足もとに座ってその御言葉に聞き入っていた、そのことを指して「必要なことはただ一つだけである。」と言われました。
「神の言葉を聞いてそれを守る」ことは、主の足もとに座ってその神の言葉に聞き入ることと一つです。
私どもは礼拝で、主の御言葉に共にひざまずいて聞き入ります。
この礼拝はすでに神の国が私どものところに来ている恵みのもとでの礼拝です。御言葉を聞いて、それを守る恵みがすでに備えられているのです。
御言葉を聞くことはできても、守ることは十分にできない、できていない、となお思われるかもしれません。しかし、主の御言葉を守ることは、たとえば「祈るときには、こう言いなさい」と言われた、主の祈りを祈ることも、御言葉を守ることです。礼拝をいっしょにささげて、主の祈りを心を込めて祈ることから、御言葉を守ることは、すでにはじまっています。
礼拝から、御言葉を聞いてそれを守る歩みが、主の恵みによってはじまっていることを信じて、礼拝生活に励んでいきましょう。
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