2026年3月22日(日)
- shirasagichurch
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【受難節 第5主日】
礼拝説教 「自由をもたらす真理」
願念 望 牧師
<聖書>
ヨハネによる福音書 8:31-38
<讃美歌>
(21)26,1,297,394,65-1,29
主イエスは、「真理はあなたたちを自由にする」(32)と言われました。とても有名な御言葉です。一般にもよく知られている言葉ですが、それが聖書に書かれており、主イエス・キリストの言葉だということは、この言葉ほどには知られていないように思います。国会図書館の壁にも、「真理はあなたたちを自由にする」という言葉が、刻まれています。
日本語ではなく聖書の原語のギリシャ語で刻まれていますので、「真理はあなたたちを自由にする」だと気づかない人もいるでしょう。一般に知られている「真理」は、主イエスが言われた真理ではなくて、人々の探求の先にある真理としてだけ受けとめられているかもしれません。
一般に知られている言葉にとどまらないで、主イエス・キリストが語られた御言葉に思いを深めていきましょう。
主イエスはどのような意味で真理を語られたのでしょうか。そのような疑問をいだくときに、ていねいに主イエスの言葉を聞くと、よくわかることがあります。「真理はあなたたちを自由にする」と言われたときに、その言葉の全体を聞き取ってみますと、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(31・32)とあります。対になっているのですが、その対の言葉を並べますと、「わたしの言葉にとどまる」と「あなたたちは真理を知り」、「本当にわたしの弟子」「真理はあなたたちを自由にする」となります。
ですから、主イエスの言葉にとどまるところに、真理を知る道があり、そのようにして本当に主イエスの弟子となって生きることが、真理に生きることであり、そのような御言葉にとどまって弟子として生きることが、私どもを自由にすると理解することができます。
主イエスの言葉にとどまることは、主イエスの御言葉に生きることですから、急に広がるようですが、教会の礼拝生活の歩みのすべてが含まれることになります。しかも、主の弟子として生きることが、教会生活の中身だということです。私どもは、主の弟子として主の御言葉に聞き従い、主から学び続けていく喜びが与えられています。
先週の水曜日、代務をしている日野台教会の付属幼稚園の卒業式でした。卒業する年長児にお話ししたのですが、その卒業式は礼拝です。牧師として、御言葉を語りました。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(テサロニケの信徒への手紙一5章16-18節)この御言葉は、主イエスがたえず働いてくださって、喜び、祈り、感謝へと導き続けてくださっている、だから、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」と言われるのです。私どもを出発点にしては、とても喜び、祈り、感謝に生き続けられないでしょう。しかし、主イエスの御言葉にとどまって、主の弟子として生きることは、たえず、喜び、祈り、感謝に生きるようにひっぱられていく、主の恵みの力に生かされていくことではないか。そこにまた、真理に生きて、その主の真理が私どもを自由にする道があるのではないでしょうか。
主イエスが、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と語りかけられたとき、そこにいたユダヤ人たちは、自分たちはすでに自由であって、だれかの奴隷になったことはない、と言いました。しかし主イエスは、救いを必要としている彼らに対して、「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である」(34)と言われたのです。
どのように受けとめたらいいのでしょうか。主の弟子になることは、罪のもとに生きることから救われて、主イエスの弟子になって、御言葉に聞き従って、御言葉の真理に生きることです。そして日々に罪を犯してしまう私どもの罪深さ、弱さをすべて主はご存知であるので、喜び、祈り、感謝に生きるように、このように祈りなさい、と主の祈りを教えてくださいました。その祈りのなかに、子どもと大人の礼拝で、口語で祈っていますが、こうあります。「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。」
主の弟子となるときに、洗礼を受けますが、中学生の子どもたちに、このように勧めたことがあります。「イエス様を信じて、これからもずっと生きていきたいと思っているなら、受けてかまわない。洗礼は、学校の入学に似ているけど、卒業がなくて、ずっと学び続けているんだよ。」
主イエスの弟子として、ずっと学び続ける喜びがあります。御言葉を学び続けて祈りに導かれ、神と人とに感謝していきる喜びがあります。それは主の御言葉の真理に生きる喜びですが、御言葉の真理は私どもを自由にします。





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