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2026年2月15日(日)

【降誕節 第8主日


礼拝説教 「ここは、わたしの父の家」


伊藤 智 牧師(横浜英和学院)

 

<聖書>

ヨハネによる福音書 2:13-22


<讃美歌>

(21)26,20,297,476,65-2,29

 

14節「そして、神殿の境内で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちをご覧になった。」

神殿の境内で商売をしているというと、神社のお祭を想像しがちではないでしょうか。でも、エルサレム神殿で行なわれていた商売というのは、神殿で犠牲をささげるためのものを売り買いしていたのです。昔、イスラエルの人々は、神さまに、「感謝をあらわすため」とか、「願いを求めて」とかで、祭司によって規定されたささげものをしていました。罪を犯したときには、「罪を赦していただくため」に動物などを犠牲のささげものとして、ささげていたのです。このときの犠牲の意味は「本来は、自分の命をささげるのですが、代わりのいのちを差し出す」というものでした。

罪を犯した人の代わりとして、羊や牛、鳩などのいのちがささげられ、その血が祭壇に注がれたのです。神さまの前に、「わたしは罪を犯しました。あなたのあわれみによってゆるしてください」というやり取りをしていたのです。ところが、時が経つにつれて、人々は、そのやり取りの意味を忘れてしまいました。代わりの命ををささげることが、いつの間にか「形式」や「習慣」に、なっていたです。

 

エルサレム神殿には、遠くから巡礼に来る人々もたくさんいました。旅のはじめから羊や牛を連れてくるのは大変なことでした。そこで、神殿の境内ってどんなところか、いわゆる中庭、広場では「ささげもの用の動物」を売る人たちが現れました。また、神殿では、普段イスラエルの人々が、使っているローマ帝国の貨幣には、ローマ皇帝の印や名前が刻まれていました。それをそのまま、神さまにささげるということは、神への冒涜だと思い、神に献げることができたのは、祭司が用意した特別なお金だけだったので、ローマの通貨から、その献金用のお金への両替をしていたのです。

 

最初、商売や両替は人々が、よりよく捧げものができるようになるためでした。しかし、だんだんとそこに「利益」がからむようになっていきました。「信仰の行為」であったはずのささげものが、「お金で買えるもの」になっていったのです。いつの間にか、人々の関心は「自分の命の代わりをささげる」ことではなく、「どの羊を買うか」「どの貨幣に替えるか」という取引そのものに向けられるようになっていました。

 

イエスさまは、その光景を見て、15節「イエスは縄でむちを作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。『このようなものをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。』」(ヨハネ2:14–16)と。

イエスさまが、その場で縄で鞭を作り、羊や牛をすべて中庭から追い出し、両替人の金をまき散らすだなんて、よほどの怒りを現わされたのです。このことは、真剣に受け止めたいと思います。そして、「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」このイエスの言葉は、神殿を本来の姿へと取り戻そうとされたのです。


 
 
 

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