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2025年8月3日(日)平和聖日

聖霊降臨節 第9主日


礼拝説教「光の方へ行く」


願念 望 牧師

 

<聖書>

ヨハネによる福音書 3:16-21


<讃美歌>

(21)26,12,371,78,226,64,29

 

平和聖日の礼拝をささげています。日本基督教団では、8月の第一主日を平和聖日とさだめて、主なる神が平和を与えてくださることを祈り続けてきました。先ほど、礼拝への招きの御言葉として、イザヤ書の2章4~5節を共に聞きました。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。」預言者のイザヤが、幻を見て書き記したのですが、それは「終わりの日に」(1)とはじまっています。主なる神が「終わりの日に」救いを完成しようと、どこへと向かっておられるかということです。主なる神が国々の争いを裁き、戒めてくださることを語っているのですが、そのときに、「彼らは剣(つるぎ)を打ち直して鋤(すき)とし 槍(やり)を打ち直して鎌(かま)とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」このことがすべて実現したら、どんなにすばらしいことでしょうか。そのような神の働きに生きる道への招きが5節にあります。「ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」旧約の民の周りの国々が、剣と槍を増やしていた時代に、それらの戦いの道具を鋤や鎌に打ち直していくという平和の道をイザヤは語りかけたのです。私どもも、「ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」という語りかけに生きていきたいと願います。「主の教会よ、主の光の中を歩もう」と語りかけられているのです。

私事ですが、かつて義理の父が福島教会の牧師を数年していました。そのときに、福島教会の礼拝堂の鐘のことを聞きました。かつて日本とロシアとの戦争が終ったとき、残った鉄砲の金属を溶かして教会の鐘にしたというのです。福島教会のホームページにこうあります。「太平洋戦争中、この鐘は軍の命令で供出させられ、全国から集められた金属類とともに溶鉱炉の炎と消えたとばかり思われていましたが、1946年に突然「返還する」との通知がありました。この鐘はアメリカ軍の戦利品の1つとしてワシントンに持ち去られていたのですが、経緯を知ったワシントンの教会の人々が、「なんということをしたのでしょう。この鐘は返さなければ。」と返還運動を行い、アメリカ海軍の手で横浜港に戻ってきたのでした。鐘は米軍の高官と日本基督教団議長らの手によって福島に運ばれ、11月10日に還付記念式が執り行われました。教会員の喜びはたとえようもなく、この模様を新聞は次のように伝えています。  「なる、鐘がなる、自由と平和のシンボル  鐘がなる、平和の鐘が鳴る、10日朝、福島市民は鳴っては響き、響いては鳴る、優しい鐘の音に空を仰いで聞き入った。聞き馴れた音色なのだ、鐘が戻ってきたのだ・・・」

イザヤが、「彼らは剣(つるぎ)を打ち直して鋤(すき)とし 槍(やり)を打ち直して鎌(かま)とする」と語りましたが、鉄砲を打ち直して(溶かして)教会の鐘にしたのです。平和の象徴としての礼拝堂の鐘は、今も主日の礼拝の度毎に打ち鳴らされています。

この日に与えられています箇所は、ヨハネによる福音書3章16節以下で、とても有名な箇所です。とくに16節を聖書の中の聖書と呼んだ神学者もいるのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」この3章16節を実に多くの牧師、神学者が説いてきました。

ドイツの神学者ディートリヒ・ボンヘッファーが、この3章16節について黙想を書いています。加藤常昭先生の翻訳を記します。「神はその独り子を与えるほどに世を愛された。すべての人がキリストを信じて救われるようになるため、すべての人のための死である。わたしにとって仇敵(きゅうてき)と思っている人のためにも、み子は死なれた。もしわたしが自分の憎むべき敵のためにも、み子が与えられたのだということを信じないとするならば、わたしもまたこの神の愛から堕(お)ちる。あるいはまたこう書いています。『この神の愛はすべての者に注がれた愛である。だからこのわたしにも与えられているのである。』」加藤先生が次のように解説しています。「戦いの最中です。自分たちのいのちを狙う人々も、じっと説教に耳を傾けていました。説教者がヒトラーの悪口を言わないかと耳を澄ましていました。そこであえて言えばヒトラーのためにも神の愛はあるということを言うのです。そのことを信じないならば、自分も神の愛から堕ちると言うのであります。」「神はその独り子を与えるほどに世を愛された」という御言葉は、神の愛の犠牲によって私どもが救いを受けられるようになったこと、み子が命をささげてくださったことを語っています。軽々しく受け止めることはできない御言葉です。そして、それほどに「世を愛された」ことも、神に敵対して信じない者のためにも愛を示されたのですから、ボンヘッファーは自分にとって憎むべき敵のためも、み子は死なれたことを信じていたのです。とても厳しい道に生きていきましたが、そこにこそ、神の平和の道があることを信じていました。「もしわたしが自分の憎むべき敵のためにも。み子が与えられたのだということを信じないとするならば、わたしもまたこの神の愛から堕(お)ちる。」と語りかけたことは、ボンヘッファーが神の愛の光に生きていたということです。

神の愛の光とはどういうものでしょうか。神の光に照らされることは、裁かれることです。しかしまた、その裁きの光は私どもを退けるのではなく、解き放っていく救いの光でもあるのです。17節「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」神の愛の光は裁いて退けるためではなく救うために照らしているのであって、恵みの光です。そこに、主なる神を畏れ敬う心が与えられるのです。最初にイザヤ書の語りかけを聞きました。「ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」という語りかけに生きていきましょう。主の光の中を歩むことは、神の愛の御言葉の光の中を歩むことです。「主の教会よ、主の光の中を歩もう」と語りかけられているのです。

神の愛の光に照らされた、ジョン・ニュートンのことを思い起こします。ジョン・ニュートンは英国の牧師でしたが、かつては奴隷船で働いていました。大きな嵐に会って神への信仰を与えられて、船乗りをやめ、のちに牧師になったのです。彼が作詞した有名な讃美歌にアメイジンググレイスがあります。19節に「光よりも闇の方を好んだ」とありますが、これは神様がご覧になった人の姿であります。闇に生きるときに、闇を闇とは気づかないことがあるのです。21節に「真理を行う者は光の方に来る」とありますが、ジョン・ニュートンは、嵐に会ってそのときに突然信仰を持ったのではないようです。幼くして天に召された母の信仰が、その心に焼きついていたと言われます。日頃、中世の修道士トマス・ア・ケンピスの「キリストに倣(なら)いて」を愛読したそうです。その歌詞の中で、「それは恵みです、わたしに畏れを教えてくださった」と歌うのですが、私どもを愛して救うために、神がその独り子を与えてくださったことは、恵みであり、主なる神を畏れ敬う心が与えられるのです。主なる神を畏れ敬う心に生きることは、イザヤが語った「主の光の中を歩もう」という御言葉に生きることです。闇は神の光に照らされときに、闇は消え光となります。私どもも、心の中を、私ども自身を照らされながら生きるとき、私どもを落ち着かせ、解き放っていくのです。

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