2025年3月9日(日)
- shirasagichurch
- 3月9日
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【受難節第1主日】
礼拝説教「神から出たもの」
願念 望 牧師
<聖書>
ヨハネの手紙一 4:1-6
<讃美歌>
(21)26,20,294,342,65-2,29
今日与えられています箇所は、「愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。」(1)と語りかけています。「愛する者たち」とは、ヨハネが書き送っている手紙を受け取る教会の者たちのことですが、とても大切なことを語るときに「愛する者たち」と言っているのです。ここで言われている「霊」という言葉の意味をよく理解できるでしょうか。聖書の原語ではプネウマというギリシャ語が使われていますが、元になっているのは旧約聖書のヘブライ語のルーアッハという言葉です。「神から出た霊」ルーアッハのことを、霊と訳すだけではなく、息と訳すこともあります。有名な箇所は、人が神によって造られたことを記している創世記2章7節です。
「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」「命の息」と訳されている「息」がルーアッハです。私どもが人として生きるときに息をするのですが、その息は元々神から出たものであり、神の霊である息ルーアッハとつながっていたということです。しかし、人が息をして生きているからといって、必ずしも神とつながっているわけでは無いことも聖書は告げています。それは、創世記に記されているように、人が罪を犯して神との関係がずれてしまい、そのつながりが絶たれてしまったからです。そのずれた関係を回復するための救いを与えようと神が働きかけてくださったことを聖書全体が伝えているのです。そして、主イエス・キリストが救い主として来てくださいました。
そのことをヨハネは、2節で「イエス・キリストが肉となって来られた」と語ります。「肉となって」というのは、私どもと変わらない一人の人としてということです。まことの神が、私どもの一人となってくださったことを、まことの神にしてまことの人という言葉でキリスト教会は言い表してきました。「まことの人」の「まこと」というのは、神の御心を満たすという意味で「まことの人」と捉えることができます。
「イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊がわかります。」(2)聖霊のことを、「神の霊」と呼んでいるのですが、聖霊は「イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表す霊」であるというのです。このことは、神の霊、聖霊によって、人は信仰を与えられ、主イエス・キリストが私どもの一人となってくださり、罪からの救いを与えてくださったと信じることができるということです。
当時、「イエス・キリストが肉となって来られたことを」否定する者たちがいたのです。仮に現れたと書いて仮現論と言いますが、イエスが生きたのは、ほんとうの人として生きたのではなくて、ある意味で「みせかけ」の姿であったというのです。そこには、まことの神が人となることを、どうしても理解しきれないことが背景にあるかもしれません。しかし仮の姿であるとすると、主イエスが私どもの一人として、罪を裁かれて、私どもを罪の裁きから逃れさせてくださる根拠を失うことになるのです。ヨハネたちは、使徒たちを始め、実際に主イエス・キリストと共に生きて、十字架の死と復活を目撃した証人たちから、「イエス・キリストが肉となって来られたことを」受け継いでいました。さらには、人の理解を助けるために、神の霊、聖霊が「イエス・キリストが肉となって来られたことを」信じさせてくださることを経験して伝えたのです。そして、ヨハネの手紙を受け取る教会の者たちも、同じ幸いに生きていました。
先ほど、「霊」と訳されているプネウマは、元々、旧約聖書の言葉からきており、「息」とも訳せると言いました。人の息が神の息、神の霊とつながらなくなったときに、主イエス・キリストが救い主として、もう一度、神の息、聖霊を与えて、私どもの息が神とつながるようにしてくださいました。そのことは、使徒言行録2章38節に約束されています。
「すると、ペトロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』」洗礼を受けた者に約束されている聖霊は、創世記にある命の息よりも、はるかにまさったものです。主なる神ご自身が霊として共に生きてくださることなのです。
ヨハネによる福音書16章13節には聖霊について主イエスが語っておられます。「その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」ヨハネの手紙一も4節で「あなたがたの内におられる方」と記しています。
信じる者たちの内におられる方である聖霊が、真理の霊として、真理をことごとく悟らせてくださることの中心は、「イエス・キリストが肉となって来られたこと」、すなわち、私どもの一人となってくださったことです。さらには、まことの人として神に御心を満たしてくださったことは、主イエスが神の愛として生きられたことを、聖霊が教えてくださるのです。「神は愛です」(4:16)とある、その神が愛であることの主イエスの歩みは、すでに3章16節に記されていました。
「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。」「愛を知りました」とあるように、聖霊が真理をことごとく悟らせてくださることの中心には、神の愛を知ることがあるのです。そして、主イエスを信じる者が、聖霊によって神の愛を知ると共に、その愛に生きていくときにも、そこに聖霊の助けを信じて生きることができるのです。そのことは大きな励ましではないでしょうか。
ヨハネも、励ましを教会に与えようと手紙を書きました。4節「子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。」信仰者が打ち勝ったのは、彼らの元々の力によったのでしょうか。彼らの心がけを用いて、主なる神の霊、聖霊が働いてくださったことをヨハネは語りかけます。「なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。」「強い」という言葉は、「大きい」という意味ですから、聖霊が大いなる方として働いてくださることを、私どもは経験していくのです。
4節に「子たちよ、あなたがたは神に属しており」とあり、6節にも「わたしたちは神に属する者です。」とあります。この「神に属する」という言葉は、「神から出た」という意味です。教会の信仰者は、神から出たものであるのです。それは、愛である神とつながっているということですから、私どもの信仰生活の息が、神とつながって支えられているということです。私どもの信仰生活の息が主なる神とつながって支えられていることは、私どもの内におられる聖霊の助けであることを信じて、まっすぐに神の愛を見上げて従っていきましょう。

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