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2025年11月9日(日)子ども祝福(CSと合同礼拝)

【降誕前 第7主日】


礼拝説教 「イエス様は救い主」


願念 望 牧師

 

<聖書>

使徒言行録17章10-12節 


<讃美歌>

(21)26,57,194,65-1,85

パウロさんとシラスさんは、イエス様は救い主だと伝えていました。ひとつの町だけではなくて、あちこちの町へ旅をしながら、このために自分は生きていると心の底から力がわいてきて、喜んでイエス様が救い主だと伝えていました。今のように、電車やバスもないし、飛行機もないし、いつも歩いて旅をしました。

新しい町へ行くと、またそこでイエス様を信じる人たちが与えられて、教会が生まれました。テサロニケの町もそうです。パウロさんがあとで、テサロニケの教会の人たちに書いた手紙が、新約聖書で最初に書かれたものだと言われます。でも、すぐに信じられない人たちもいました。パウロさんたちに反対して、無理矢理につかまえたりしましたが、いつも神様が助けてくださいました。つかまえられて助かると、またパウロさんたちは次の町へと行くんですよ。すごいなと思いますが、パウロさんは自分がすごいのではないと言っています。「わたしは他のすべての使徒よりもずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」(コリント一 15:10)パウロさんは、目に見えない神様が聖霊としていっしょにいてくださって、神様に動かされるようにして旅をつづけました。

そうして、パウロさんたちはテサロニケの町からべレアの町へ行きました。今日のような礼拝で語りました。べレアの町の人たちは、ほかの町の人たちと違って、素直に、とても熱心に御言葉を聞いていました。そして、イエス様は救い主だと信じたのですが、それだけではなくて、毎日聖書を読んで、パウロ先生たちが話したことは、確かにここに書いてあると調べていきました。私たちも、毎日聖書を読めたらいいですね。

 そのころの聖書は本ではなくて、長い紙に手書きで書いてくるくる巻いていく、巻物でした。とても貴重で、おそらくべレアの町に一つか二つしかなかったと思います。聖書のどこを調べて読んだかは、書かれていなのですが、たぶん、イザヤ書や詩編だったと思います。なぜかというと、パウロさんは、ほかの町でイエス様の救いを伝えていくときに、詩編やイザヤ書から語っているからです。イザヤ書や詩編にこう書いてあるように、イエス様は十字架に死なれたけれども、復活された神の御子であって、私たちの救い主だと伝えていました。たとえば詩編の16編10節に「あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく」と約束されています。陰府という死者の世界にそのままにならないで、イエス様が復活されたのは、詩編の約束がほんとうになったということです。

 イエス様のことを、イエス・キリストと呼ぶときがあります。イエスというのは、名前で「主は救い」という意味です。キリストは、救い主という意味です。ですから、イエス・キリストというのは、イエス様は救い主という、とても短い言葉で信仰を言い表した言葉です。これからも、イエス様はわたしたちの救い主と信じていきましょう。そして聖書から、イエス様が私たちの救い主だということを、礼拝で学び続けていきましょう。


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