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2024年7月21日(日)

聖霊降臨節第10主日

 

礼拝説教「惑わされないように」           


願念 望 牧師

 

<聖書>

ルカによる福音書21:5-9

イザヤ書66:1-2


<讃美歌>

(21)26,12,55,476,65-1,29

 

 主イエスが「惑わされないように気をつけなさい」と言われました。そのとき、神殿におられました。エルサレムの中心にある、主なる神に礼拝を献げる神殿を、人々は信仰の中心にすえていました。

 

 主イエスはそのとき、「ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話している」(5)その思いと向き合っていかれたのです。彼らの惑わされている思いを知っておられました。

 主イエスは語りかけられました。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」(6)と。「あなたがたはこれらの物に見とれている」と、彼らが神殿の立派さに見とれていることを言われたのですが、エルサレムに来られてすぐに、主イエスが神殿で語りかけられた言葉を思い起こします。

 

 「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」(19:46)

 神殿の立派さに見とれる多くの人々がいる一方で、主イエスは、神殿の内実が失われ、信仰がふさわしく告白されず、信仰生活が生きていないことを悲しまれたのです。

 

 主イエスは「一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」と、立派な神殿が崩れ落ちる日が来ることを言われました。エルサレムが陥落し、神殿が崩壊する日が来ることをあらかじめ語られました。実際70年にエルサレムが陥落したのです。ルカは、この福音書をエルサレム崩壊後に、主イエスの言葉を思い起こしながら書いたとも言われます。

 

 しかし主イエスが語られたのは、単なる神殿崩壊の預言ではない、福音の言葉です。主イエスが語られた御言葉が、単なる神殿崩壊の預言ではない、福音の言葉だということがすぐにわかるでしょうか。たとえ見えている荘厳な神殿が崩れ落ちるようなことがあったとしても、崩れ落ちない主の言葉に生きることができる、主なる神からの信仰に生きて、祈りの家として教会は生きることができるということです。ルカの教会は、立派な会堂にはよらずに信仰を継承し、教会を形成していきました。私どもも、教会に主から与えられた信仰を継承していくのです。

 主イエスが語りかけられたのは、人が建てた神殿自体が神を表すのではない、礼拝を献げる私どもの信仰を伴った礼拝によって、主なる神が言い表され、宣べ伝えられていくということです。建物ではなくて、礼拝の中心に主なる神が共にいてくださり、その主なる神が礼拝において言い表されていくのです。

 礼拝の中心に主なる神が言い表され共にいてくださるときに、私どもはどのようなもの者として主の御前にひざまずく必要があるでしょうか。先ほど、イザヤ書を朗読しました。

 「わたしが顧みるのは

  苦しむ人、霊の砕かれた人

  わたしの言葉におののく人。」(イザヤ66:2)

 「わたしが顧みるのは」と主なる神様の語りかけがあります。私どもが、礼拝において霊の砕かれた人となるようにとの招きがあります。私どもは自らの弱さや自己中心な罪深さに苦しむ人で、その自分が砕かれていくのです。主の御言葉によってさばかれ、おののきつつも、赦しを与えてくださる主の御前に、砕かれ続けていくのです。

 たとえ建物が崩れるようなことがあっても、崩れ去ることのない主イエスを信じる信仰に、神の愛に生きる喜びに生きることができるのです。その歩みは、私どもが元々もっているものによるのではなく、主なる神によって与えられ、支えられているのです。

 

 毎週礼拝において告白する使徒信条の冒頭に、「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」とあります。この告白は、天地万物を造り、私を造ってくださった主なる神がおられると言い表しています。「全能の父なる神」というのは、私のようなものをも、主はお救いくださるという告白でもあるのです。

 私どもを砕き、霊の砕かれた人として、神の愛に生きた信仰を建て上げてくださる。私どもにできないことも、主なる神にはできることを信じて「全能の父なる神を信ず」と告白するのです。

 

 主イエスは神殿で、神殿の立派さに見とれず、主なる神にすべてをゆだねて、神の愛にとらえられていたひとりの人を喜ばれました。自分自身をすっかり主に献げるように、レプトン銅貨2枚を献げた女性です。彼女に与えられた恵みは、崩れ去らないものです。ある意味で、彼女は霊の砕かれた人とされたのです。

 主イエスは神殿の立派さではなく、ひとりの人に与えられた信仰に見とれておられたのではないか。主が与えるその恵みの確かさに、教会の将来を見据えておられたはずです。

 

 すべてを神にすっかりゆだねていく恵みにあずかり、霊の砕かれた人として生きていきたいと祈り願います。全能の父なる神が、主イエス・キリストの父なる神が、それを成し遂げてくださるのです。



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