【受難節第4主日】
礼拝説教「感謝を忘れない」
願念 望 牧師
<聖書>
ルカによる福音書 17:11-19
<讃美歌>
(21)26,19,297,531,64,27
「イエスはエルサレムに上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。」(11)とあります。何気なく読み飛ばしてしまう言葉かもしれません。
まず「サマリアとガリラヤの間」とは、どこなのでしょうか。それはサマリアでもガリラヤでもないところです。名もない村に主イエスは出向いて行かれました。どうして名もない村なのでしょうか。
その村では、重い皮膚病を患って、人里離れたところで暮らしている人々がいました。当時の規定に従ってのことですが、直ったら郷里の家に帰ることができるのですが、そのような希望がなかったと言ってもいいのです。その村へと歩まれる主イエスの歩みに、神の愛を見ることができます。
人々が見捨てたような人々が暮していたのです。たとえ人々が見捨てたとしても、主イエスはそうではありません。
主イエス自らがその村に行かれることによって、神を賛美する喜びが生まれました。信仰の喜びです。同じ喜びに、すなわち主イエス・キリストによってもたらされる喜びに、私どもも生かされていくよう招かれています。
新共同訳聖書は、はじめの頃の版では、「重い皮膚病」を「らい病」と訳していました。この当時の病は、かつて「らい病」と呼ばれた「ハンセン病」ではないことは学者たちの研究によって明らかになっています。今から30年ほど前ですが、東中国教区の鳥取の教会に遣わされていた頃、教区で教師研修会があり、「らい病」の訳語について協議しました。そして、当時の病気はハンセン病(らい病)ではないので、他の訳語に変えてほしいと新共同訳聖書を出版した聖書協会に提言しました。たとえば、最もふさわしいとは言えないが「重い皮膚病」という言葉に変えてほしいと提案しました。他からも指摘があったと思いますが、やがて言葉が変わりました。
しかし同じ病気ではなくても、扱いはよく似ています。日本では、ハンセン病患者の方たちも、隔離されて暮らしました。しかも、ばい菌の一種の病原菌なので、およそ伝染病ではない、うつらない病気と言ってもいいのに、隔離を続けたのです。
かつての任地の青森にあったハンセン病療養所(松丘保養園)には、キリスト教会があり、およそ施設の3割くらいの方がキリスト者でした。
ある方は、大切な信仰の思いを話してくださいました。「私はこの病気になったから、イエス様にお会いすることができました。むしろ今ではこの病気になったことを感謝しているんです。」と言われたことを思い起こします。この箇所で、主イエスに癒されて、感謝を献げるために戻って来たひとりの人と、重なる思いがするのです。
主イエスが名もない村へと行かれたとき、重い皮膚病の人たちは遠くから叫んで「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」(13)と祈るように求めました。そのときに、遠くから叫んでいる彼らのところへと、主イエスの方から近づいて行かれたのです。主イエスは、「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」(14)と言われました。祭司たちのところへ行くことが意味することは、病気がいやされたことを確認してもらうためです。しかし、彼らはまだ重い皮膚病がいやされたていたわけではありません。主イエスの言葉を信じて村を出ていく必要がありました。彼らは、主イエスの言葉に押し出されるようにして出かけました。そして、10人が主イエスの言葉によって村を出た後、10人すべてがいやされました。飛び上がるようなうれしさが沸き起こったと思います。しかし、その後の行動には大きな違いがあったのです。
10人のうち、ひとりだけが主イエスのもとに戻って来ました。
「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そしてイエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリ人だった。」(15・16)
彼は神様に感謝せずにはおれなかった。病気がいやされただけでなく、信仰が与えられたのです。「神を賛美し」「イエスの足もとにひれ伏して感謝した」ことは、礼拝を献げる喜びにあずかったということです。
のこりの9人についてはこの後のことは記されていません。それっきりになったかも知れません。彼らはユダヤ人でしたが、戻って来たのは、ユダヤ人がさげすんでいたサマリア人だったのです。
自分の願いがかなうというところで留まると、帰ってこなかった9人のようになることもあるのです。
さて、最初に「イエスはエルサレムに上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。」とあるのは、何気なく読み飛ばしてしまう言葉かもしれませんと言いました。「イエスはエルサレムへ上る途中」という言葉について思い巡らせたいと思います。主イエスは単にエルサレムへ行かれたのではないのです。エルサレムへと行かれたのは、そこで十字架のうえで命を献げるために、深い思いをもって祈りのうちに歩んでおられるのです。
ドイツのゴルヴィッツァー牧師は、「イエスはエルサレムへ上る途中」という言葉について「ルカによる福音書が、ここにおける出来事をエルサレムにおける十字架の出来事の光の中で見ていたことを示す」と語っています。
この個所での病のいやしの話はとても喜ばしいことです。名もない村から出て、自分の家に帰ることができたからです。しかし、10人のうち、ひとりだけが神に感謝をささげたことは、私どもへと問いかけとなっています。私どもは、感謝を忘れてはいないかということです。
「清くされた」という言葉が、2回(14、17)出てきます。直接は病のいやしのことですが、清くされることは、病のいやしにとどまらないのです。むしろ「主の民に罪の赦しによる救いを知らせる」(1:77)とあるように、罪を赦され清くされるところに、ルカは救いを見ているのです。病のいやしだけで終わらないようにということです。逆に言うと、当時のルカの教会で、病をもったまま、主をたたえて、感謝の礼拝をささげつつ生きていた人はたくさんいたはずです。
直前の箇所で、「悔い改めれば赦してやりなさい」(17:3)と言われた主イエスは、私どもを赦し受け入れてくださるのです。
礼拝は、感謝して神の御前にひれ伏すために戻ってくるときでもあります。あるいは、戻ってこなかった9人の姿が問いかけるように、礼拝は感謝を忘れていることを示されて、主なる神への感謝を呼び覚まされるときでもあるのです。私事ですが、神への感謝は、頭ではよくわかっているようで、忘れやすいと思います。ふと、心を暗くしているときに、感謝を忘れていることを主に示されて、主よ、おゆるしください、と祈ることがあります。
憐れみ深い主は、礼拝の恵みによって、私どもを絶えず感謝へと導いてくださるのです。私どもを感謝へと導いてくだあること自体が、神様のいやしではないでしょうか。どうか主よ、あなたへの感謝に生かしてくださいと祈っていきましょう。
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