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2024年12月1日(日)

待降節第1主日

 

礼拝説教 「心の目を開いて」       


願念 望 牧師

 

<聖書>

ルカによる福音書24:44-53


<讃美歌>

(21)26,8,228,149,65-1,29

 

 ルカによる福音書をこの朝で学び終えることになります。2022年9月4日から、2年あまりかかって、ご一緒に神の言葉に耳を傾けてきました。

 ルカによる福音書の最後のところは、礼拝で締めくくられています。「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」(53)ではルカによる福音書の始まりはどうだったかというと、祭司のザかリアが、聖所で皆を代表して礼拝をささげて祈っています。ですからルカによる福音書の始まりも礼拝です。礼拝に始まり礼拝に終わる。このことは私どもに与えられている祝福です。ルカが記した礼拝の祝福に心を傾けてまいりましょう。

 

 弟子たちが「絶えず・・・神をほめたたえていた」のは、主イエスが天に帰られた昇天

のあとのことです。復活された主イエスが、弟子たちのところに来られて出会われた後に、天に上げられました。そのときの様子がこう記されています。「手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」(50、51)

 主イエスは「手を上げて祝福された。」その手は、元々の言葉では両手です。主イエスは両手を上げて祝福された。牧師も両手を上げて祝福します。それは主イエスの祝福を取り次いでいるのです。主イエスがなおも礼拝において祝福してくださることを信じて両手を上げて祝福します。以前は祝福のことを「祝祷」と呼んでいた。祝祷は祝福の祈りということになりますが、英語ではベネディクションですので祈りではなく祝福が主によって与えられているという意味です。

 礼拝で祝福を受けて出て行くということは、いかなることがあっても、それは神の祝福の中でのことだということです。どんなことがあっても神の祝福の中にとどまっていくことができる。「絶えず・・・神をほめたたえていた」弟子たちも、迫害につぐ迫害の中に生きるようになったのですが、神の祝福の中でそれを受けていったのです。いかなることがあっても神の祝福にとどまることができる、そのような祝福を主イエスが命を献げてくださったことにより与えられているのです。

 

 主イエスの祝福は、礼拝に始まり礼拝に終わる祝福だと言いました。

 礼拝堂で葬儀を執り行うことがあります。地上の生涯を終えた教会員を、葬儀を執り行って礼拝堂から天に送ります。葬儀もまた礼拝です。葬儀は別れのとき、悲しみのときです。しかし別れや悲しみが支配するのではなく、そこに差し込む祝福の光があります。それは、葬儀という礼拝において祝福のうちに天に召されるからです。

 

 天に昇られた主イエスがまた、その祝福を持って、私どもを天に召してくださるのです。

 弟子たちは主イエスと地上での最後の別れをした後、悲しみに暮れたとは書かれていない。むしろ「大喜びで」帰って、礼拝から礼拝に生きたと記されています。主イエスとの別れが悲しみではなく、喜びを生み出しました。

 それは、もはや主は、もうここにはおられないのではなく、共に臨在してくださっている喜びでした。主イエスがもたらす喜びは、礼拝の喜びです。主イエスが弟子たちに、「これらのことの証人となる」(48)と約束してくださった恵みに生きたのです。

 十字架に命を献げ、死から復活された主イエスは、「聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて」(45)くださった、とあります。弟子たちの心の目を開いてくださった。聖書が主イエスを指し示していることは、主が心の目を開いてくださらなければ信じることができないのです。救い主が苦しみを受け三日目に死者の中から復活すること、また罪の赦しを得させる悔い改めが、主イエス・キリストの名によって、あらゆる国々に伝えられていく、そのことが聖書に記されていることは、主なる神が私どもの心の目を主が開いてくださって、はじめて分かることなのです。

 

 主が私どもの心の目を開いてくださることは、礼拝の恵み、礼拝の祝福です。主が私どもの心の目を開いてくださることは、聖書の御言葉に伴う聖霊のお働きです。

 礼拝において、御言葉を共に聞いて、御言葉によって喜びが与えられていく、そこに主が心の目を開いてくださる働きかけ、祝福がすでに私どもを覆っています。ですから私どもは、主イエスの証人となり続けている。

 主イエスの証人とは、主イエスが生きておられ、また私どもを罪赦して救い、生かしてくださることの証人です。

 私どもは証人としてその確かさを自らの内に持っているわけではない。弱さを私どもは抱えています。しかしその弱さ、乏しさの内にこそ主は今もなお、愛の力を持って働き続けてくださっています。私どもは心から、主イエスが共におられなければ、礼拝はないことを告白することができます。主イエスを共に信じて礼拝の祝福にとどまる、主の証人として生きていきましょう。


 
 
 

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