【降誕前第7主日】
礼拝説教 「イエス様に聞こう」
願念 望 牧師
<聖書>
マタイによる福音書17:5-8
<讃美歌>
(21)26,194,507,65-1,85
あるとき、イエス様は祈るために弟子たちを連れて山に登られました。ペトロさん、ヤコブさん、ヨハネさん3人と一緒に登られました。そのときに、イエス様のお姿が変わりました。お顔がとても輝いて、服も光のようにまぶしくなりました。山上の変貌と言われることがありますが、変貌と表現していいのだろうかと思います。学者たちが言うように、変わったというよりも、むしろイエス様のほんとうの姿が表されました。山に登られて、祈っておられるときにイエス様のほんとうの姿が明らかになりました。
弟子たちはやがて、イエス様がどのようなお方であるかを、はっきりと知るようになりました。それは、神様ご自身である聖霊のお働きによってです。私たちはどうでしょうか。
私たちも、祈っているときに、すべてをご存じである神様の前に、自分を包み隠さず明らかにされるのではないでしょうか。すべてをご存じである神様が、深い愛をもって、私たちを受け入れ導いてくださいます。しかし、神様が知ってくださっているほどには、私たちは自分のことをよく分かっていないことがあるように思います。いかに神様が広い心で受け入れ、ゆるしてくださっているかは、祈って礼拝をささげているうちに、神様が働いてくださって、だんだんわかってきます。
青森にいた頃の経験です。それは、雪に覆われている冬には雪の上からはわからないのですが、春になると雪が溶けて、雪の下からいろんなゴミが出ていることがありました。外からはわからない私たちの姿があります。
その私たちが、神様へと向き直って悔い改め、罪を赦されて救いを受けるため、主イエスは十字架にかかられました。私たちに代わって神のさばきを受けてくださったのです。
「モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。」(3)とあります。それはほかの福音書を読むと、十字架のことです。主イエスが十字架へといたる道について、モーセやエリヤと話しておられるときに栄光に輝いておられました。それは、十字架に神様の愛、栄光が表されていることのしるしでもあります。
栄光に輝くイエス様の姿と言うと、私たちは、この世的な繁栄の姿や自分の望みが叶う自己実現のようなことと結びつけてしまうかもしれません。豊かであること自体が罪ではありません。しかし、それをどう用いるかが問題です。自分が成長することは感謝なことですが、自己実現や豊かになるためにイエス様の救いを用いるのでは決してないのです。
むしろ、イエス様は、直前の箇所でこのように言われます。「わたしについてきたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために自分の命を失う者は、それを得る。」(16:24-25)
さっき、イエス様の十字架に神様の愛、栄光が表されていると言いました。礼拝はその神様の愛に応答するときです。イエス様のお話を聞いて、お祈りするのが応答です。そして、この礼拝から出て行って、神様の愛に生きようとします。
どうしてこのようなことで苦労するのかと、理由のない悩みを経験することがあります。一番つらいことかもしれません。しかしそんなときこそ、私たちはイエス様の十字架を思い起こして祈ることができます。イエス様が十字架にかけられる理由は何もないのです。あえて私たちの救いのために担ってくださいました。そこに神様の愛、神様の栄光が現れているのです。
神様の愛に生きて、自分を愛するように隣人を愛そうとすることは、自分の限界を感じて悩ましい思いをいだくことがあります。しかし愛そうとするそこで、イエス様の十字架を少し見ているのです。自分のような者がゆるされ受け入れられていることの尊さ、神様の愛の深さを知るのです。神様の愛に応答してイエス様についていくことは、十字架に表された神様の愛を知り続けていくことでもあるのです。
十字架に表された神様の愛の栄光は、人の目には隠されている栄光です。主なる神様の聖霊が、御言葉と共に働いて明らかにしてくださらなければ分からないのです。
人の目には隠された神様の栄光を、神様は礼拝のなかで絶えず明らかにしてくださいます。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(5)とある通りです。ペトロたち、主の弟子たちは「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」と父なる神から命じられたとおりに、イエス様に聞き、主を愛して従っていきました。
「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。」(4)と、ペトロは山の上でイエス様に言いました。
礼拝において神様の愛の尊さを知り続け、謙遜な思いで神の愛に応答して生きていきましょう。「神様、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。」といつも感謝してきましょう。
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