【聖霊降臨節第8主日】
礼拝説教「賛美する喜び」
願念 望
<聖書>
ルカによる福音書10:21-24
<讃美歌>
(21)26,9,132,140,64,29
主イエスが喜びにあふれて父なる神をほめたたえておられます。
「そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。
『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。』」(21)
主イエスが喜んでおられることを、私どももまた喜んで生きるようにさせていただきたい。そのような主イエスとつながる喜びは、つきることがないのです。主イエスの喜びは、どのようなものだったでしょうか。
主イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われました。「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」(21) 「知恵ある者や賢い者には隠して」というのは、この世の知恵や賢さでは得ることができないことを、幼子のような者が主の恵みによって与えられたことを、主イエスは喜んでおられるのです。ともすれば教会が、知恵ある者や賢い者の集まりになっていないか、考えさせられます。知恵や賢さ自体は悪いことではありません、しかし、主に頼ることに勝って、知恵や賢さが支配したら、教会は命を失うのです。主は愛をもって私どもを導いておられます。
よく味わっていきますと、主の導きを考えるときに、「聖霊によって」というのが、キーワードになっています。
聖霊は、原語でプネウマですが、風とも訳すことができます。聖霊は神の霊、キリストの霊ですが、目には見えません。しかし風が吹くと木々が揺れるように、聖霊が働かれるとそこに、神の御業が起こるのです。
主イエスはたえず聖霊とひとつに生きて、御業をなしていかれました。聖霊によって喜びにあふれていかれました。私どもも、自らの力によるのではなく、神の聖霊によって上よりの喜びに生かされていくのです。
主イエスはあるとき礼拝堂で、イザヤ書61章1-2節を朗読され、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき実現した。」(4:21)と言われました。
イザヤがかつて預言したことが御自分によって実現したということですが、それは自らがメシア(救い主の意味、新約聖書ではキリスト)であることを明らかにされたのです。
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために」(ルカ4:18、イザヤ書61章1節の引用)。「貧しい人」とありますが、これは必ずしも経済的に貧しいということではありません。むしろ神の御前に乏しく、自分で必要を満たすことができない、主なる神がおられないと生きることができないということです。自分で自分を救うことができないことを知っていて、主なる神により頼む人のことです。
私どもはその意味では「貧しい人」ではないでしょうか。「貧しい人」として私どもが信仰を抱いて従っていくなら、主イエスは私どもを喜んでくださるのです。
主イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われました。「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」(21)「幼子のような者」は「貧しい人」と似ています。幼子が周りの人に助けていただかなければ、自分だけでは生きることができないように、「幼子のような者」は、主なる神の助けをどうしても必要としているのです。
貧しい人、幼子として、心へりくだって生きる者に、主はご自身を明らかにし、上よりの恵みを与えてくださるのです。人には本来わからない救いの恵みを明らかにしてくださるのです。
主イエスは、幼子、また貧しい人としての弟子たちに向かって、「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。」(23)と言われました。この御言葉は私どもへの御言葉でもあるのです。
見ているものを見る目というのは、信じて信仰を抱いていることですが、信じて生きることは、信仰の眼差しに生きることでもあります。それは単純に、主イエスを信じて見上げて生きる信仰の眼差しです。
旧約聖書には多くの預言者や王たちが登場します。特に預言者は救い主のことを預言して指し示しました。しかし当時すべてを見据えていたわけではないのです。かすかにおぼろげに見ていたようなのです。
ですから主イエスはこう言われました。
「言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたの見ているものを見たかったが見ることができず、あなたがたの聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」(24)ここで、見ることと聞くことが一つに語られています。
礼拝で主の御言葉を聞くことは、信仰の眼差しが与えられて、しっかりと主を信じて見上げることになります。御言葉を聞いて、しっかりと見上げることができるのですが、それは「聖霊によって」であります。
ここに集う私どもは、聖霊によって導かれなければ集うことができないのです。主の導きを心にとめて、主が聖霊によって私どもが知り得ないところでも働かれることを信じていきましょう。
これからも聖霊のお働きによって、主の御言葉に聞き、主をしっかりと見上げて、主を喜びたたえて生きていきましょう。
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