【聖霊降臨節第5主日】
礼拝説教「逆風の中の航行」
山元克之牧師 (青山学院高等部聖書科教諭)
<聖書>
マタイによる福音書14:22-36
<讃美歌>
(21)26,17,227,462,28
時に教会は船に例えられますが、教会の働きはまさに船の航海のようです。白鷺教会もまた神の国という対岸に向かっての航行をしておられます。その船旅は、喜びももちろんありますが同時に困難もあります。まさに、今日、弟子たちの船が逆風に悩まされているように、この世の荒波、逆風に思い通りに進まず悩むことがあります。弟子たちは真っ暗闇の中、船を漕いでいました。前も後ろも、見えない状況です。そこに逆風が吹いている。前に進むのが正しいのか、引き返す方が正しいのかわからない、まさに感染症のパンデミックの今の私どもの様子とも重なります。いや、教会は2000年前にこの世に建てられたときから、逆風の闇の中を進んできたのですから、白鷺教会もこの弟子たちと無関係ではないのであろうと思うのです。
私たちはそれぞれ、信仰ゆえにあらゆる恐れを締め出して歩む一方で、信仰生活を送る中、まさに逆風と呼べるような困難にぶつかることがあります。いや、本当はこの世を歩むというのは、今日の弟子たちのように常に強風にさらされている状態なのだと思います。その強風を乗り越えるために人は、自らに力を蓄えること、強風に打ち勝つ力。そういったものがあたかもこの世を生き抜く術であるかのように教えられる。
信仰を与えられた者は、そのようには考えない。人生の歩みには常に強風が吹いていても、ペトロのようにただ一人のお方を見て歩むことで、恐怖に打ち勝つことができると信じています。信仰を杖に、あらゆる困難を乗り越えると信じています。それが信仰を与えられた者の生き方であります。
それでもです。ペトロのようにふとした瞬間に強風が吹いていたことを思い出し、恐怖を覚えることが誰にでもあります。神様を見て信仰の生活を歩んでいるのだけれども、しかし、もう片一方の目に恐怖がちらつき疑う気持ちが生まれる。教会の歩みもそうです。ペトロのように、新しい何かに挑戦しては、沈みそうになり、挫折をする。そしていよいよ、教会の将来は大丈夫かという強風に怯え、不安にさいなまれる。
そう言う私たちに語り掛けられる言葉が「信仰の薄いものよ」という主イエスの言葉なのです。この言葉は決して審きの言葉ではありません。「ペトロよお前の信仰は小さい。だから沈んでしまいなさい」と主イエスはおっしゃらなかった。信仰の小さなペトロをも主イエスは助けられた、救われたのです。しかも、主イエスが手を差し伸べ、ペトロの手を強く握ってです。
信仰の小さい私たちです。日本の教会は小さい小さい共同体です。そのため、幾度となく挫折を繰り返します。誰もが荒れ狂う中で信仰の生活を送るのです。ある人が「疑いの中にある信仰の弱い弟子達の挫折を救うイエスの助け、それが決定的に重要である」と言っています。信仰が小さいために沈みゆく私たちをそれでも見捨てておられない方がおられるという事です。
嵐の中で戸惑うことしかできない私たちです。小さな信仰の私たちです。疑いばかりの信仰生活です。それでも、いやそれだからこそ、その中で主が白鷺教会の手を握り、祈り、見つめ、育んでくださっている大きな恵を覚えたいのです。
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