【待降節第4主日】
礼拝説教「天からの喜び」
願念 望 牧師
<聖書>
ルカによる福音書 2:8-14
<讃美歌>
(21)26,264,269,260,81,65-1,29
教会の暦(カレンダー)では、クリスマスの祝いと共に、新しい年を迎えます。新しい年を迎える喜びと力が与えられるときが、クリスマスだと言うことができると思います。
クリスマスを祝うときに、クリスマスカラーと言って、色で表現することがあります。たとえば、よく用いるのは緑色です。礼拝堂にかざっているクランツにも緑色の常緑樹の葉っぱを用いています。常緑樹は、冬にまわりの木々が紅葉して葉を落としていく中で、緑色のままで春を迎えます。いつまでも続くものを思い起こすために、緑色をしるしとするわけです。いつまでも続くものとは何でしょうか。
今日の聖書の個所で、天使が近づいて語りかけています。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」(10)天使が告げた、「大きな喜び」が、いつまでも続くものです。みなさんの中には、いつまでも続くものが「喜び」と聞くと、そうだろうかと思われる方もあると思います。私たちは喜ぶことがありますが、それがいつまでも続かないことを知っているからです。私たちの喜びと、天使が告げた「大きな喜び」は、どこが違うのでしょうか。
ひとつには、天使が告げた「大きな喜び」は、その喜びの源、源流が、天にあります。神様から来る「大きな喜び」です。神様は、いつまでもおられて、変わらずに私たちに働きかけてくださるので、その神様が与えてくださる、天からの「大きな喜び」は、つきることがないのです。なくならない、いつまでも続いていくということです。
天使はさらに、「大きな喜び」の中身を告げました。「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(11)それは、私たちのために救い主がお生まれになったということです。その意味では、救い主は、すべての者に与えられる「大きな喜び」そのものです。いつまでも続くのです。教会は、救い主を喜び、神様に感謝する礼拝をささげて、およそ2000年を重ねてきました。救い主を喜ぶ礼拝はなくならない、それは私たちが礼拝する神様、救い主は昨日も、今日も、いつまでも変わらずにおられて、私たちに救いを与えてくださるからです。
先ほど、クリスマスカラーの話をしました。緑色ともう一つ、よく用いられるのは赤色です。赤色は犠牲を表しています。日頃、自分のことで背一杯で、ほかの人のことを考えることは少ないかもしれません。しかし、このクリスマスのときに、周りのひとのことを、お世話になった方のことを思い起こして感謝することは、私たちに帰って来る喜びです。
この方のおかげで今の自分があると感謝する、そのもっとも大きな存在は、主イエス・キリストだと聖書は告げています。「飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」(12)としてお生まれになった救い主は、貧しく、小さくなってくださいました。私たちのすべての痛みや悲しみを知るためです。そして、十字架に命をささげてくだいました。それは、私たちに代わって、罪の裁きを受けてくださったのです。しかし、十字架の死は終わりではなくで、復活され今も生きて私どもを救い、支えてくださっています。
ですから、ルカが記した天使たちの賛美は、いまも生きておられ、神の愛をもって働きかけてくださる主イエス・キリストへの礼拝の歌でもあるのです。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」(14)
「御心に適う人にあれ」という賛美を受けるにふさわしい人がいるでしょうか。主イエス・キリストだけが、「御心に適う人」そのものです。しかし、主イエス・キリストが救い主だと信じていくときに、その人は、神の御心に適う人となっていくのです。御心に適う人というのは、神様に喜ばれる人です。それは誰であってもです。ですから、「民全体に」すべての人に与えられる「大きな喜び」があるのです。
クリスマスカラーの緑と赤の話をしました。神様からの喜びが、一人一人の上にありますように、そして、主イエス・キリストの救いを信じて、神様に喜ばれる、御心に適う人となり続けますように、神様の祝福をお祈りします。
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