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2022年9月18日(日)(親子礼拝)

【聖霊降臨節第16主日】

 

礼拝説教「こどもをまねくイエスさま」 

 願念 望 牧師

<聖書>

マルコによる福音書 10:13-16


<讃美歌>

(21)26,6,60,470,65-1,85


 イエスさまはあるとき、集まってきた人たちを見ておられました。すると向こうの方から、イエスまさに祝福してもらおうと、お家のお父さんやお母さんが、子どもたちを連れてきていました。だんだん近づいてきます。イエスさまは、子どもたちが集まってくるのをとても喜んでおられました。でも、イエスさまの近くまで来ると、弟子たちが、子どもたちを連れてきた人たちを叱りました。子どもを連れてきてはいけない、だめだと叱ったということです。ここは大人の集まりで子どもたちが来るところじゃない、まだ子どもにはイエスさまの話は分からない、ということでしょう。


 でもイエスさまは、子どもたちを連れてきてはいけないと叱った弟子たちを戒めて、こういうことを言われました。

 子どもたちをわたしの所に来させなさい。あなたたちは、子どもたちを大人にまだなっていない、劣った者と見ているようだが、むしろ、子どもたちのように信じなさい。子どもたちは、お家の人の助けがなかったら生きていけないことをよく知っています。あなたがたも、子どものように、神様の助けがなかったら生きてはいけないことを信じて、わたしに従ってきなさい。

「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(14-15)


 イエスさまは、集まってきた子どもたちを抱っこして喜ばれ、祝福されました。「子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」(16)

 このあと、子ども祝福をしますが、これはイエスさまの祝福を教会が受け継いで祝福します。神様の恵みと守りの中で生きていくということです。

 実は、子ども祝福がない礼拝でも、いつも礼拝の度ごとに、イエスさまは祝福してくださっています。祝祷と呼んでいますが、イエスさまの祝福が告げられて祝福を受けます。

 イエスさまに抱っこしてもらって祝福を受けるわけではありませんが、思いの中では、イエスさまに抱っこしてもらっている、抱きしめてもらっていると信じることができます。礼拝の度ごとに、子どもも大人もみんな、イエスさまの祝福をもらって帰って行きます。


 最初に、イエスさまはあるとき、集まってきた人たちを見ておられました、と言いました。この礼拝のときも、イエスさまは、集まってきた私たちひとりひとりをよく見てくださっています。同じ人は誰もいません。違いがあります。たぶん、イエスさまは、違いがあるからいい、と思ってくださっているはずです。


 ある動物の歌を思い出しました。その動物は、草や木の葉っぱをたくさん食べます。四本足でノッシノッシ歩いて、私よりもはるかに体が大きくて、体重も重いです。動物園では人気者で、お耳がとても大きくて、それに、お鼻も長いです。

 イエスさまは、違いがあるからいい、と思ってくださっているはずでだと考えていると、「ぞうさん」のうたを思い出しました。

 「ぞうさん

  ぞうさん

おはながながいのね

 そうよ

 かあさんも ながいのよ


ぞうさん

ぞうさん

だあれがすきなの

 あのね

 かあさんが すきなのよ」


 もう今から25年ぐらい前ですが、牧師になって間もないころ、鳥取というところにいましたが、「ぞうさん」のうたに意味があるのを知って、びっくりしました。

 ぞうさんは、あるとき、お友達と遊んでいて、どうしてお前だけ、そんなにお鼻が長いんだよ、と悪口を言われてしまったというのです。ちょっと困ったぞうさんですが、お友達に「そうよ かあさんも ながいのよ」と答えたというのです。


 作者のまどみちおさんはキリスト者ですが、キリスト者のお友達の阪田寛夫さんにこんな風に伝えたそうです。

「ぞうの子は、鼻がながいねと悪口を言われた時に、しょげたり腹を立てたりする代りに、一番好きなかあさんも長いのよ、と誇りを持って答えた。それは、ぞうがぞうとして生かされていることが、すばらしいと思っているからです。だからこの歌は、ぞうに生まれてきてうれしいぞうの歌、と思われたがっているでしょう、と。」(まどさんのうた、阪田寛夫著、1989童話屋)

 これは想像ですが、日本の戦後間もないころ、学校で、今までとは違って、肌の色が違ったり、目の色が違うと言われて、悪口を言われている子どもたちのことを思って、まどさんは「ぞうさん」のうたを歌ったのだと思います。まどさんはこんな風に言われたそうです。

 「目の色が違うから、肌の色が違うから、すばらしい。違うから、仲よくしようというんです」(前掲書)


 イエスさまは、私たちひとりひとりのすべてをよく知ってくださっています。ひとりひとりが生かされていることを喜んでくださっています。子どもが大人になっていく中では、いろいろ教えてもらったり、ときにはごめんなさい、と言うことも必要です。神様にも、ごめんなさいとお祈りしたら、ゆるしてくださいます。

礼拝に来ることは、イエスさまのところへ来ることです。イエスさまが喜んで祝福してくださることを信じていきましょう。



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