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shirasagichurch

2022年7月24日(日)

【聖霊降臨節第8主日】

 

礼拝説教「救い主と出会う」   

 願念 望 牧師

<聖書>

マルコによる福音書 15:16-32


<讃美歌>

(21)25,3,165,301,65-2,28


 ここにひとりの人が、主イエスと出会っています。シモンというキレネ人は、強制的に主イエスの十字架を担がせられています。当時、十字架の横木を刑場まで引いて行かせたそうですが、たまたまそこにいたシモンに兵士が担がせたのです。

 キレネ人シモンにとっても、また担がせた兵士にとっても、それは、たまたまのことであったかもしれません。しかし、果たしてそれだけでしょうか。マルコ福音書が私どもに伝えていることは、そのような巡り合わせや人の思いを超えて、主なる神の御心が不思議に働いているということです。主は深い御心をもって、私どもにも働きかけてくださっているのです。


 マルコ福音書が「アレクサンドロとルフォスとの父シモン」と記しているのは、当時の初代教会において、その名が知られていたからだと言われます。シモンからはじまって、やがてキリスト者の家族となっていき、初代教会で重要な働きをなしていったというのです。シモンは、主イエスが十字架に命を献げられるのを最後まで見とどけ、また、その御言葉を聞いて、信仰へと導かれていったのではないかと想像できるのです。

 

 あるいは使徒言行録2章1節以下に、キリスト教会が生まれた、聖霊降臨の出来事が記されていますが、その最初の福音の説教を聞いていた人々が、各地から集まっていたことがわかります。「わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。」(使徒2:9-10)「キレネに接するリビア地方などに住む者」とあるように、そこに、この箇所のシモンがいたのではと考えることもできるのです。実際にその地方にシモンが住んでいなかったとしても、シモンが主イエスの十字架をゴルゴタの丘まで担いでいったことを通して、初代教会の始まりからのキリスト者として生きるようになったのではと理解することができるのです。


 シモンは、初代教会において、主イエスの担われた十字架の実際の重みを知るものとして、度々話しをしたでしょう。深い喜びの思いをもって語り続けたはずです。その信仰の言葉を聞いた彼の家族も、恵みのうちに主イエスを信じる信仰を継承していったと思います。

 シモンは、初代教会の説教者たちの言葉を口移しにするように福音を語ったのではないか。主イエスが担ってくださった十字架によって、自らが救われたことです。それは、本来自分が担うべき罪の裁きを主イエスが担い、罪赦されて救われたこと、主イエスの十字架の救いに、神の深くまた重たい愛が表されていることです。

 ですからシモンは、主イエスの愛の重みを知る者として、喜びをもって語っていったのではないか。


 シモンは、主イエスのあとに従って、自らの十字架を担って生きる者となっていったはずです。それは主イエスの御言葉に従った歩みです。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マルコ8:34)

 マルティン・ルターは、「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と主イエスが言われる時に、自分の十字架はどこにあるかと捜す必要はない、「隣人を自分のように愛しなさい」(12:31)という主イエスの戒めに従って隣人を愛するように歩む時に、すでにそこに自分の十字架を担っている、という意味のことを語りました。

 まさにシモンはそのように隣人を愛して自分の十字架を担う者となっていったのではと思います。またシモンが隣人を愛する歩みに生きることができたとするならば、それは言うまでもなく、主イエスの愛、神の愛を知ったからです。主イエスの愛の重みを担っていったのです。

 

 私どもも、主イエスの愛の重みを担っていくことがゆるされているのです。それは実に喜ばしい重みであります。

   

 シモンがそば近くで見ていたでしょうが、マルコは「また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。」(15:27)と記しています。ゴルゴタの丘に、十字架が三本立てられたのですが、その中央に主イエスがかけられました。主イエスの十字架の場面を、マルコ福音書は詳細に記すのですが、それは、ここに福音が語られているからです。マルコ福音書が記された当時の初代教会にとって、主イエスの十字架のお姿は、福音となっていきました。それは、自分たちの救いになっているということです。

この箇所に記されていますことは、主なる神が、十字架にかけられているのです。「どうして」という叫びを私どもは忘れてはならないのです。主イエスこそは、受けるべきでない十字架の苦しみをお受けくださったのです。

 十字架刑は、歴史上最も残酷な刑罰の一つであると言われます。あまりの残酷さゆえに、ローマ帝国の市民権を持つ者は、いかなる悪事を犯しても、十字架刑には処せられなかったと言われるほどです。しかしマルコ福音書は、そのような十字架の悲惨さをここに伝えようとはしていません。むしろ告白しているのは、十字架上にあらわされた神の姿です。そのことを深い喜びと感謝をもって記しているのです。

 人々は、十字架上のイエスに、神を見ることはできませんでした。むしろ口汚くののしったのです。「十字架から降りて自分を救ってみろ。」(30)当時の指導者たちもそうでした。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシヤ、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」(31-32)

 もし仮に、十字架をとりまく群衆の言葉通り、主イエスが十字架から降りて自分の命を助けられたなら、彼らは信じたでしょうか。おそらく彼らは、驚き、また賞賛したでしょうが、本当に信じることには至らなかったでしょう。十字架から降りて奇跡的に自らを救う者の姿には、超人のような驚きはあっても、聖書が示す救い主の姿はないのです。

 旧約聖書は、例えばイザヤ書53章に救い主の姿を預言しています。その預言の言葉の成就を、マルコ福音書は明らかに、十字架の主イエスの姿に見ているのです。「わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。」(イザヤ53:6)ののしられても、ののしり返さずにおられる主イエスの姿も、指し示されています。「苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように・・・彼は口を開かなかった」(53:7)

 マルコ福音書は、十字架の主イエスの姿に、その死に身をゆだねていかれる姿に、神の聖霊の働きがなくてはわからない輝きを見ているのです。その姿に、イエスこそ、救い主、キリストであると告白しているのです。

「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」(15:34)と主イエスは十字架の上で叫ぶように祈られました。私どもに代わって裁く父なる神に向かって、なおも信頼の言葉を捨てることなく、身をゆだねていかれる主イエスに、まことの神の独り子の姿があるのです。そばで見ていた百人隊長も「本当に、この人は神の子だった。」(15:39)と告白しているのです。この告白は、キレネ人シモンの告白としても聞くことができるのです。自分は救わずに、私どものために神に裁かれ、滅びに立たれて、死んでくださった主イエスに、マルコ福音書は神を見いだしているのです。私どもの一人となってくださった、まことの神、救い主に出会い、「本当に、この人は神の子」だと、このお方こそ救い主であり、信ずべきお方であると招いているのです。

 主イエスは、十字架に死なれ、命を献げられたのですが、そこから何を生み出してくださったのでしょうか。それは、私どもを、キリストの教会を生み出してくださったのです。神を礼拝して生きる群れ、神の愛に生きる群れを起こしてくださった。それは、ののしりや裁きを受けたことに対して、ののしり返すことでも復讐でもなく、その実りとして神の愛に生きる者たちを生み出してくださったのです。主に生み出された教会の者たちは、自分たちの教会生活、礼拝生活の中にある、救い主の栄光の輝きを見て喜んで生きていったのです。

 私どもも、主イエスの輝きを見ることがゆるされています。それは、実に素朴なことだと言えるかもしれません。神の愛に生きる輝きは、主イエスを信じて礼拝生活をいっしょに生きる喜びの輝きであります。主イエスが私どもといっしょに生きてくださる喜びを共に味わい、主にある喜びが広がっていくように祈り励んでいきましょう。



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