【聖霊降臨節第18主日】
礼拝説教「救いを見る」
願念 望 牧師
<聖書>
ルカによる福音書 2:21-38
<讃美歌>
(21)26,20,127,180,64,85
主イエスが誕生されて間もない頃、神殿でマリアとヨセフは祈りを献げました。それは、ユダヤ人の習慣にならって、幼子を主なる神に献げるためです。
鳩を献げたことが記されていますが、そこからマリアとヨセフが貧しく暮らしていたことがわかります。小羊を献げるべきだったようですが、それは裕福な家庭の話です。そのかわりに、鳩を献げるように掟が定まっていたのです。
もし小羊なら目立ったかもしれません。祭司が出迎えた記述がないのですが、それがあったかどうかよりも、ルカは、ひっそりとその祈りが献げられたことを表したかったのでしょう。
先週、シャロンという女性たちを中心とした集まりで、前もってこの箇所が取り上げられていました。それは、このあと賛美する、シメオンに与えられた恵みを歌う讃美歌180番の学びのためでした。ひとつの疑問が取り上げられましたが、それはどうして幼子が救い主だと分かったのかというものです。発表者の方は、聖霊による「目利き」が与えられたからではないかと言われました。「目利き」という表現でいいのだろうかと言われていましたが、聖霊による「目利き」というのは、なるほどと思いました。こんな話しを聞いたのを思い出しました。
それは、「目利き」を育てるために、ひたすら本物だけを見せるというのです。本物と偽物を見せて違いを学ばせるのではなくて、ひたすら本物だけを見せるというのです。そうして育った「目利き」は、偽物を目にしたときに、それが本物ではないと分かるというのです。あるいは、本物に出会ったときに、まさにこれは私が見てきたものだ、本物だと分かるというのです。
しかし、よく考えてみると、救い主はただお一人ですから、どうやって「目利き」を育てるのでしょうか。このように思います。シメオンは主を心から信じて祈り、礼拝を献げる中で、救い主となってくださる主なる神と出会い続けていたのですが、いつも、救い主の恵みを見ていたのです。いや、救いを見ていた、と言ってもいいのです。そして、実際にひとりの幼子に出会ったときに、聖霊のお働きによって、この幼子が救い主だと分かった。それは、救い主を見た、ということですが、ただ、救い主だと分かった以上に、主なる神の救いを見たのです。
30節にこうあります。「わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」
私どもの救い主となってくださったお方が、私どもの救いそのものであることを見て、シメオンは神をたたえたのです。
そのように、シメオンをはじめ、主の霊によって、幼子が救い主だと気付いて、神をたたえた者たちがいたのです。救い主だとわかって信じることができるのは、人の力によらず、神の霊のお働きによるのです。
先週、3日間にわたって、教団総会が4年ぶりに対面で開催されました。無事終えて帰って来ましたが、初日に、池袋の駅を降りて会場に向かっていますと、すぐにこの方も同じキリスト者で会場に向かっておられると思いました。初めてお目にかかる方でしたが、その物腰と雰囲気で感じました。そして実際そうでした。同じ主のお働きのもとにいることは感謝なことです。
幼子はイエスと名付けられました。それは、天使がマリアにあらかじめ告げたとおりです。「イエス」とは、「主は救い」という意味です。
私どもはよく、イエス・キリストと呼びますが、それはイエスがキリスト(救い主)という最も短い信仰告白にもなっているのです。主とは神様の意味ですから、私どもの神であり、救い主であるイエス様を、主イエス・キリストと信じて呼び、礼拝を献げているのです。礼拝において、聖霊である神のお働きなくして、信じてお名前を呼ぶことはできないのです。
さて、救い主だと主の霊によって悟ることができたもう一人は、預言者アンナです。彼女は84歳と記されていますから、当時としては、かなりな高齢者です。若くして夫を天に送り、ひたすら主に仕えてきたのです。そしていつ召されてもおかしくないようなときに、救い主(メシア:旧約聖書のヘブライ語での言い方)に会うことができました。自分はこのときのために生かされてきたと主をたたえたはずです。
私どもも、年を重ねていく中で、このために自分はここまで生かされてきたと主をたたえることができるのは、この上なく感謝なことではないでしょうか。高齢になってから経験することに限定する必要はないでしょう。若い頃から、いくたびも経験していくこともあるのです。いずれにしても、主によって与えられる大切な日々を過ごしていることの感謝を忘れてはならないのです。
先ほど、シメオンのことをお話ししました。彼は、救い主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊から告げられていました。ですから、通常、アンナ同様に年老いていたと考えられています。しかし年齢は記されていませんので、重い病を抱えていた若者か壮年であった可能性も否定できないのです。そのように考える神学者もいます。いずれにしてもシメオンは、主の約束の通りに、やっとメシアに会うことができたのです。シメオンは祭司ではなく、ごく普通の信徒だったようですから、その意味では、救い主に会うことができるとの預言を、だれも信じてくれなかったかもしれません。彼自身も不信仰を抱くこともあったかもしれないのです。
しかし、シメオンを支えた主の恵みは、実りの時を彼に与えました。
シメオンは、魂の底から湧き出るように神をたたえました。
「主よ、今こそあなたは、お言葉通り この僕を安らかに去らせてくださいます。」元々の言葉の順序では、「今こそ去らせてくださいます」が先に来ます。ラテン語では「ヌンク、ディミトウス」で、古くからシメオンの賛歌(29-32節)は、「ヌンク、ディミトウス」と呼ばれてきました。このあと賛美する、讃美歌180番は古くからラテン語の題名で「ヌンク、ディミトウス」と呼ばれます。
「今こそ、去らせたまえ」と訳すこともできます。生涯の終わりに、「ヌンク、ディミトウス」と告白したシメオンに注がれていた恵みに、私どもも生かされているのです。
アンナやシメオンが、このあとどれぐらい生かされたかは書かれていません。およそ30年後に、主イエスの十字架を目撃し、その復活に出会うことはおそらくなかったでしょう。
アンナとシメオンの話が記録されているのは、おそらくマリアとヨセフによって、とくにマリアによって弟子たちに伝えられたと思われます。
マリアが心に刻んだことは、「心を刺し貫かれます」というシメオンの預言です。救い主を宿し、幼子の母として選ばれたマリアは、主の十字架において、まさに魂を刺し貫かれたのです。
しかしマリアは、自分よりもはるかにまさって、主イエスが十字架にその命を刺し貫かれたのを目の当たりにするのです。
マリアの賛歌は、すでに記されており、「わたしの魂は主をあがめます」と始まります。ルカ福音書が記されたときはすでに主イエスは十字架と復活により救いの道をひらいておられました。救い主への賛歌は、お生まれになったときだけではなく、初代教会において、私どものためにご自身の尊い命を献げられ、復活された救い主をたたえて歌い継がれたのです。「わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」という告白は、初代教会の告白として受け継がれていった。互いに与えられた救いを見たからです。
マリアやシメオン、アンナの喜びを思い巡らすときに、詩編30編12節の言葉を思い起こします。
「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え、喜びを帯としてくださいました。」
喜びを帯とする、というのは、喜びを身にまとわせてくださったということです。主は私どもに喜びを着せてくださるのです。主は私どもに救いを身にまとわせてくださるのです。
この朝は、世界聖餐日の礼拝でもあります。感染対策のために、聖餐を執り行うことはできませんが、主が恵みによって、罪の赦しを与え、ご自身の救いの命を分け与えてくださることを信じていきましょう。その恵みは、喜びの衣でおおってくださることでもあります。冬にコートを着るのは温かくて身も心も安まります。でも季節に関係なく、心を冷やしてしまう私どもにとっては、主イエスの喜びの衣でおおっていただくことは、大きな安らぎとなっていく、その恵みを信じていきましょう。主の恵みを信じて、世に伝えていきましょう。
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