【復活節第7主日】
礼拝説教「主は手を取ってくださる」
願念 望 牧師
<聖書>
マルコによる福音書1:29-34
<讃美歌>
(21)25,3,142,493,29
与えられています箇所は、29節「すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。」と記しています。「一行」というのは、主イエスとシモンをはじめとする弟子達ですが、この時、シモンの家に行くことを決めたのは、ほかでもない主イエス御自身であったと思われます。主イエスが弟子の家に出向いて行かれたことは、ああ、そういうことがあったのかと読み過ごしてはならないのです。
シモンとアンデレの家に出向いて行かれる主の姿は、決して過去のことではない、私どものことを思いにかけてくださる主の姿であるのです。マルコは恵みの主を信じてここに記しているのです。私どものところにまで来てくださる恵みの主に思いを深めてまいりたい。
シモンというのは、後に主イエスからペトロ、岩という意味のペトロと呼ばれるようになった弟子です。ペトロは、「わたしについて来なさい。」(17)と言われる主イエスの言葉に従いました。漁師の道具である網を捨てて従ったのです。それは、家族を残してついていったということでもあります。主イエスの後をついていった。しかし主イエスの歩まれる道は、おそらくペトロの予想に反するものでありました。ペトロの考えと、主イエスの道はずれていたのです。ペトロは、とても真剣にイエス様を信じてついて行ったのですが、少し真剣すぎたのかもしれません。
ペトロは、もはや家族のことは省みないつもりであったかもしれない。あるいは、家族をおいて出てきたペトロにとって、その家に帰ることは自分からはできなかったことでしょう。しかし、ペトロの思いを超えて、主イエスは彼の家を訪ねられたのです。主イエスが先頭に立って、「一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。」はずであります。
自分の家へと進み行かれる主イエスに、ペトロは驚いたかもしれない。しかし、同時にペトロは、自分はそのことを願っていたと、自らの思いに気づかされたかもしれない。主イエスに来てほしかった。そして、しゅうとめのために祈ってほしかった。しゅうとめというのは、言うまでもないことですが、ペトロの妻の母親のこと。CSの子どもたちが聞いていたら、あなたのお母さんのお母さんで、おばあちゃんのことだと言ったら分かるでしょう。
30節には、「シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。」とありますね。これはあくまで想像ですが、主イエスが安息日に会堂に入って教えておられたとき、人々は、ペトロのしゅうとめが休んでいるのがすぐに分かったはずです。ぽっかりと空いた席があったのではないか。それは、ペトロの妻としゅうとめの席であります。そして主イエスも人々の何らかの会話の中からそのことをお知りになったのではないか。しゅうとめが熱を出して寝ていたのは、どういう病気であったかは分かりません。しかし、その原因は一家の主人であったペトロが主イエスについて行ったことにあったのかもしれません。あるいは、以前から重い病を抱えていたのかもしれない。私どもも心配な家族がいるときに、心の安まるところがなくて、神様どうか助けてください、と祈ることがあります。
約2000年前の時代、熱を出して寝込んでいた、というのは危険な状態を意味していたと言われます。ルカによる福音書には、「高い熱に苦しんでいた」(4:38)と記されています。ペトロは思いがけず、自分の家へと先頭に立って歩み行かれる主イエスに福音を見たのであります。福音、というのは、よい知らせ、という意味です。やがて、ペトロたちは、福音を伝えた。私どもの救いとなってくださった主イエスを宣べ伝える者となったのです。
31節にありますように、主イエスがしゅうとめのそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなしました。「もてなした」とありますのは、「仕えた」と訳すこともできる言葉です。主イエスと弟子達の関係を表す言葉として、この「仕えた」という言葉はよく用いられます。しかも、この「仕えた」という元々の言葉は、日本語に訳しにくい言葉で記されています。あえて訳しますと、「彼女は一同に仕えた。そしてこの時からずーっと生涯仕え続けた。」となります。主イエスに仕え続けたのです。それは、学者たちが指摘しますように、ペトロのしゅうとめがキリスト者として、主イエスに仕えるようになったということです。
ペトロの妻はどうなったかと言いますと、コリント一9章5節には、「ケファのように信者である妻を連れて歩く」とあります。ケファというのは、当時主イエスと弟子達が話していたと言われるアラム語で「岩」という意味ですが、ペトロのことです。ペトロは、やがてキリスト者となった妻を伴って、伝道者としての生活をしていたということです。
さて、32節にありますように、夕方になって日が沈むと人々は続々と集まってきました。病人や悪霊に取りつかれた人を連れてきたのです。なぜ日が沈んでからかと言いますと、ユダヤ人の習慣では日が沈むと次の日になりますから、当時安息日には働いてはならないという掟があったからです。病気を治すことも働くことだと考えていた。安息日は旧約聖書の時代、土曜日でありましたが、いまは、私どもキリスト教会は、主イエスの復活を記念して、日曜日に礼拝を守ります。私どもは、朝から一日がはじまるととらえています。しかし旧約聖書の伝統に生きる人々は、日没から日没までを一日とします。ですから、日が沈むと次の日になるので、病気を治してもらってもいいので、集まってきたということです。
主イエスは集まってきた者たちの病気を癒された。そして、悪霊を追い出されたのですが、その時、34節にありますように、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。主イエスは、悪霊がご自身について誰であるかを告げることをお許しにならなかった。主イエスは、自らが神の子イエス・キリストであることを、弟子達が告白する日が来ることを知っておられた。その日が来ることを願いつつ待っておられたのです。主イエスは、やがて私どもも、主イエスが誰であるのかを告白する日が来ることを心から願って待っておられた、いや主を救い主と告白する人が加えられるよう働きかけ、その日を待っておられるのです。
主イエスは、今もなお働きかけ、私どもが主イエスを信じて生きるようにしてくださる。ペトロのお母さんの手を取って起こされたように、私どもの手を取って起こしてくださる。主イエスが、私どもの手を取って起こしてくださるというのは、神の愛をもって、いつも心に喜びを与えて導いてくださるということです。
あるとき、2年ほど前ですが、大先輩のK先生が入院されて病室をおたずねしました。いまでは退院され穏やかに過ごされていますが、90歳でしたのでとても心配しました。ご家族の方に連絡するとたずねてくださいということだったので駆けつけました。おたずねすると、病室の入り口の方を向いて横になっておられて、いまかいまかと待ってくださっていた。短く挨拶して詩編121編を読んで祈りました。
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。」
よく覚えているのですが、「わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから」と読んでいるときに、主なる神の助けが今ここに来ている確信を強く与えられました。
ベッドに横になっておられる先生の手を握ってお祈りしたのですが、不思議な思いがしました。わたしが握っているというよりは、握ってもらっている。K先生に握ってもらっているということもありますが、共におられる主イエスが、しっかりと覆うように手を取って握り、一緒に祈ってくださっているような思いがしました。
私どもが祈るとき、礼拝で手を合わせて祈るその手に、主イエスが手を添えて祈ってくださるのです。私どもが祈るその手を、主イエスがその大きな手で覆って一緒に祈ってくださる。だから、いつも心に喜びをいただいて生きることができる。
私どもの手を包んでくださるイエス様の手は、どんな手でしょうか。主イエス・キリストの手は私どものために苦しんでくださった十字架の傷跡がある手です。主は私どもの痛みを知っておられる。苦しみや悩みを誰よりも知っておられるのです。
主イエスは、私どものいっさいをご存じであるのです。
「わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。」と祈るとき、すでに主イエス・キリストは私どものかたわらにいて助けてくださるのです。
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