【降誕節第3主日】
礼拝説教「人の心をご存じの主」
上田 充香子 伝道師(阿佐ヶ谷教会)
<聖書>
ヨハネによる福音書 2:13-25
<讃美歌>
(21)205,449,475
迎えた主の年2021年
新しい年を迎えました。皆さんはどのような気持ちで新しい年を迎えたでしょうか。それぞれおかれている環境はひとりひとり異なります。しかし今年はコロナ禍で迎える年、ということは皆同じです。そのコロナの中で、10日からまた会堂での礼拝が閉ざされてしまいました。誰がいつなってもおかしくないこの状況で、逆に今まで礼拝を守ることが出来たことに感謝したいと思います。そして、再び参集して教会で礼拝を守ることが出来る時を皆で祈りつつ待ちたいと思います。
イエス様の伝道の始め
今日お読みした聖書の箇所は、まさに年のはじめに読むにふさわしい箇所と言えるかもしれません。新しい気持ちで迎える年の始め。主イエスの伝道が始まった箇所だからです。伝道活動を始められたイエス様はまず結婚式に出られました。そこで水をぶどう酒に変える奇跡を行われた。しかしこれは親族の中で行われた奇跡でした。今日は初めて外に出て、エルサレムの神殿にやって来られた。ここで主イエスが神様の言葉を伝え、人々がイエス様の声に耳を傾ける……?というような伝道活動を想像しておられる方もおられるかもしれません。しかし、主イエスの行動は真逆とも言える驚くべき行動でした。
神殿から商人を追い出す
イエス様は神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている人たち、座って両替をしている人たちを見るやいなや、縄で鞭を作り、羊や牛を全て境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、怒りを露わにされました。イエス様のこの大胆な行動に驚いた人が多かったでしょう。私もその驚いた中の一人です。なぜこのような行動をイエス様が起こされたのか、16節の言葉から知ることが出来ます。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」わたしの父の家、つまり父なる神様の家である神殿を商売の家としてはならない、そのように言われたのです。神様の家で、自分の利益のために、自分の商売のために居た人たちの心を主がご存知だったからです。
人間の心を知っておられる主イエス
この後の段落でも、主イエスがおこなったしるし見て、イエス様を信じた人たちがいました。しかし、主イエスは彼らを信用しませんでした。それは、「何が人間の心の中にあるかをよく知っておられた」からです。どのような気持ちで人間が神殿で商売しているか、どのような気持ちで主イエスを信じているか、主イエスはご存知です。信仰を持っていたとしてもその心の中にある欲や罪の心をイエス様はご存知でおられます。私たちの信仰の心も今、問われているのかもしれません。
主が備えてくださる「神殿」
私たちは弱い者です。このコロナの出来事があってなお弱さを知らされたような気がします。人を裁き、自らのことしか省みることのできない自分に気づかされる。神を信じていると言いながら、信頼しきれていない自分がいるかもしれません。しかし、主イエスは私たちが父なる神様と出会うことが出来る場所を備えていていくださいます。今日の箇所では「神殿」という言葉が何度か出てきますけれども、聖書が書かれた元の言葉では14節の「神殿」と19節以降の「神殿」とは別の言葉が使われています。19節以降の「神殿」は「聖所」とも訳すことが出来る言葉です。「この神殿を壊してみよ、三日で建て直してみせる。」と主イエスは仰いました。この神殿は14節とは違い、建物としての神殿だけではなく、主イエスと出会う場所、父なる神様に出会う場所という意味で、その場所を自ら、人間が壊してみよ、と言われているのです。主イエスの言葉の通り、私たち人間の罪や欲、不信仰から主イエス御自身を十字架にかけ壊しました。しかし、主イエスがご自分の身体をささげてくださり、三日目に復活してくださり、主イエスは再び私たちに出会ってくださいました。この罪の赦しに生きる限り、この「神殿」は壊れることがありません。主イエスが私たちの為に与えてくださった主イエスと出会う場所、神様と出会う場所だからです。
なお愛してくださる主イエス
私たちの利己的な罪を主イエスはご自身の身体でもって赦し、なお私たちを愛してくださいます。今日の箇所は人間の心をご存知で信用されない主イエスの姿で閉じられていますが、この後3章16節はこう記します。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」神様は信用できない人間を独り子をお与えになるほどの愛を持って、世を、人間を愛してくださいました。今日の箇所のすぐ後にこの聖句が記されていることこそ、私たちに与えられている大きな恵みです。私たちはこの愛の中に立つ必要があります。この愛に全幅の信頼を置くのです。主イエスが、神様が私たちを愛してくださっています。
〈祈り〉
天の父よ、新しい一週間を、各ご家庭において礼拝を守ることから始めさせてくださったことを感謝いたします。胸懐に集うことはかないませんでしたけれども、しかし各場所においてささげられる礼拝、また祈りをあなたが祝して、ひとつとしてくださいますように。白鷺教会に連なるお一人お一人の今週の健康と信仰の歩みをあなたが守り導いてくださいますように。主イエスの愛に信頼して主にある平安の中を生きることができますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン
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