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日本キリスト教団
白鷺教会 しらさぎきょうかい
Shirasagi Church

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2026年5月3日(日)
【復活節 第5主日】 礼拝説教 「主イエスの声を知っている」 願念 望 牧師 <聖書> ヨハネによる福音書 10:1-6 <讃美歌> (21)26,2,57,516,65-1,29 先週、教会総会が開かれ、すべての議案が予定通り承認されました。そのなかで、長老選挙も行われ、選ばれた10人の長老がその任を受けとめてくださって、このあと就任式が行われます。教会役員のことを長老と言うのは、長老教会の伝統を白鷺教会が受け継いでいるからです。長老は、牧師と共にその教会の群れを牧会するつとめを与えられているので長老と呼びます。そのときに、牧師もまた長老のひとりとして、選ばれた長老たちと共に牧会します。ですから、牧師もまた長老のひとりで、宣教長老と呼ばれて、御言葉を語るつとめを与えられています。 今日与えられています箇所で、主イエスは御自身を羊飼いにたとえて話されています。その意味では、主イエスがまことの牧師、羊飼いであって、牧師は主イエスのしもべ、弟子として仕えていることを忘れてはなりません。選挙で選ばれた長老たちもまた、牧師と共に主イエス
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5月3日読了時間: 6分


2026年4月26日(日)
【復活節 第4主日】 礼拝説教 「信じてひざまずく」 願念 望 牧師 <聖書> ヨハネによる福音書 9:18-41 <讃美歌> (21)26,4,156,476,65-1,29 ひとりの目の見えなかった人が、主イエスの弟子となっていったことが記されています。9章の始めから続いている話ですが、生まれつき目が見えなかった人を見られた主イエスが、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業(わざ)がこの人に現れるためである。」(3)と言われて、彼の目を見えるようになさいました。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業(わざ)がこの人に現れるためである」という主イエスの御言葉を、生まれつき目が見えなかった人は、生涯を通して愛していったはずですし、それは主イエスを生涯、愛していったということです。 私事ですが、牧師になるとときに、按手礼と言って、祝福を受けて遣わされていきます。牧師の正教師試験に合格して按手を受けますが、1996年の12月3日でしたから、この12月で30年になります。その按手のときに、
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4月26日読了時間: 6分


2026年4月19日(日)
【復活節 第3主日 】 礼拝説教 「解き放ってくださる」 願念 望 牧師 <聖書> ヨハネによる福音書 9:1-17 <讃美歌> (21)26,10,51,446,65-1,29 主イエスが、ある人を見かけられました。その人は、生まれつき目が見えませんでした。弟子たちも同じ人を見ましたが、その人を見る思いは、主イエスとは大きく違っていました。私どもはどうでしょうか。弟子たちは、主イエスにたずねました。「ラビ(先生という意味です)、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」(2) 弟子たちは、正直に質問しました。しかしその質問のなかに込められている当時の人々の思いが明らかになっています。「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか」という質問から分かるように、目が見えない、といった身体の不自由さは、罪を犯したからそうなっているという考え方です。罪を犯した罰として、不自由さをその身に負っているということですが、私どもは、そのような考え方から解き放たれている
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4月19日読了時間: 5分
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