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日本キリスト教団
白鷺教会 しらさぎきょうかい
Shirasagi Church

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2026年2月15日(日)
【降誕節 第8主日 】 礼拝説教 「ここは、わたしの父の家」 伊藤 智 牧師 (横浜英和学院) <聖書> ヨハネによる福音書 2:13-22 <讃美歌> (21)26,20,297,476,65-2,29 14節「そして、神殿の境内で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちをご覧になった。」 神殿の境内で商売をしているというと、神社のお祭を想像しがちではないでしょうか。でも、エルサレム神殿で行なわれていた商売というのは、神殿で犠牲をささげるためのものを売り買いしていたのです。昔、イスラエルの人々は、神さまに、「感謝をあらわすため」とか、「願いを求めて」とかで、祭司によって規定されたささげものをしていました。罪を犯したときには、「罪を赦していただくため」に動物などを犠牲のささげものとして、ささげていたのです。このときの犠牲の意味は「本来は、自分の命をささげるのですが、代わりのいのちを差し出す」というものでした。 罪を犯した人の代わりとして、羊や牛、鳩などのいのちがささげられ、その血が祭壇に注がれたのです。神さまの前に、
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2月15日読了時間: 3分


2026年2月8日(日)
【降誕節 第7主日 】 礼拝説教 「イエスを信じるために」 願念 望 牧師 <聖書> ヨハネによる福音書 7:40-52 <讃美歌> (21)26,2,208,458,65-2,29 光に照らされると、影ができます。私どもが太陽の光に照らされると、自分の影が地面にうつります。舗装されていない土のところでは、影がくっきり映ります。子どものころには、影を踏まれないように追いかけ合う、影ふみという遊びをしたのを、ふと思い出します。なぜ、こんな話をするかと言いますと、舗装された道路をもっぱら歩いて自分の影をあまり意識しないように、主イエスという光に照らされた自分の影を、心にとめることができているだろうかと示されました。 それは、今日与えられています箇所に、主イエス・キリストに照らされた人々の影が映し出されているからです。私どもも、主イエス・キリストに照らされたときの自らの影を示され、さらに影に見をとめるだけではなく、光である主のもとにひざまずいて、その恵みを祈り求めていきたいと願います。 光である主イエス・キリストの御言葉がすぐ前の箇所
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2月8日読了時間: 7分


2026年2月1日(日)
【降誕節 第6主日 】聖餐 礼拝説教 「いのちの流れ」 願念 望 牧師 <聖書> ヨハネによる福音書 7:25-39 <讃美歌> (21)26,12,432,404,81,65-2,29 主イエスは、エルサレムの神殿で過ごされています。そのときは、仮庵祭という大事な祭りの最中でした。10月ごろの祭りなので、収穫感謝の意味もあったようですが、仮庵、仮の宿という名前からその祭りがなぜ祝われるのかを知ることができます。旧約の民がエジプトで奴隷の生活をしていたところから助け出されて、故郷への旅をしました。その旅は荒れ野の旅で、天からの食物、マナによって命をつないでいったのです。砂漠を旅するのですから、水も十分にはなくて渇きに絶えられず、しばしば指導者のモーセに不満をあらわにしたのです。しかし神の憐れみによって、ときには岩から水がわき出るような奇跡を経験しながら旅をつづけました。その荒れ野の旅は、たえず仮の宿、仮庵での生活でしたから、かつてのことを忘れないように、主が助けてくださったから今があることを思い起こす時として、仮庵祭を続けていったの
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2月1日読了時間: 7分
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